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『私は女になりたい』(著:窪美澄)

『私は女になりたい』(著:窪美澄)

 

先日、図書館に借りていた本を返却にいった足で、借りてきました。

表紙のデザインに惹かれて手にした一冊。

(興味を持たれた方はぜひ「主人公」になった気分で読んでみてくださいね。。)

 

内容は、一言で言えば、「歳の差の恋愛」のお話です。

奈美というアラフィフ(バツイチ)の女性と若い男性との恋を描いた作品。

 

奈美=美貌(整形した顔)の美容整形外科医 

 

結局、ラストの展開でまた二人で逃避行を続けるのか?だけど、

若い男性の無鉄砲さ(幼稚さ、率直さ)は気まぐれである。

なぜ、同年齢の婚約者と破綻してしまったのか?だけれど、

精神年齢の釣り合いや将来性を考えたら、長続きする恋ではないだろう。

(しかし、佐藤直也がいなくなって真の意味で独立した彼女とはパートナーシップは築けていくのかもしれない。仮にその形が家族ではなく、親友という形に変わっていくとしても。)

 

いわゆる、恋愛や性愛に関する小説を読む時、著者(あるいはGライターさん)の個人の経験が少なからず反映されていると思っている。もしかしたら、全くの妄想の世界なのかもしれないけれど。。自分がそういった内容のストーリーを書くなら、少なからず、自らの経験を織り込むことになるはずだから。ゆえに、以前に書いた小説は削除した(だいぶ昔の話ですが)。

 

そう考えると、少なくとも、ストーリーに登場する人物や(いくら多少のフィクションを加えたとしても)周りの知人・友人にはそういう目で見られるのではないか?それが、「作家の家族や友人にはなりたくない」と一般的には言われる所以であろう。

 

作品が惹きつけるのは、大抵、ありふれた幸せやハッピーエンドではない。そういう、あまりに日常に溢れた内容は人を惹きつけない。その意味で、作家というのは苦労人だったり、普通の体験ではない体験をしている人が多い気がする。というか、そういう人にしかなれないのだろう。

 

この作品もそうである。ありふれた日常の中にある「非日常的な」恋。

ごく一部の人が体験しながらも、多くは胸に秘めて語られることはない恋。

 

だからこそ、自分に重ねてみたり、記憶を思い出したり、または全く自分には縁がない(物語の中の)話として読む。一度もそのような恋に縁のなかった人にとっては、よくいう「まるでドラマの中の世界」となるのだろう。

 

小説は「他人の経験」から学ぶことができるチャンスでもある。

 

どうしたら、例えば、この本の話に出てくるような不運(例えば「腹上死」)を防ぐことができるのかとかそんな場面に巻き込まれずに済むのか、逆にどんなケースで巻き込まれてしまう可能性が起こるのかなどそういった心理(機微)を学ぶのだ。

(君子危に近寄らず)

 

世の中には、「幾つになっても女(男)でいたいひと」と「そういう人を軽蔑する人」がいる。(軽蔑する人たちは、前者に対して激しい敵意を剥き出しにする。)

 

例えば、周りが貞淑な奥様のような人や飾らない人の輪の中にあって、自分だけは露出度が高めの服やいわゆる「年齢を無視した」服を着ていると、「いつまでも若々しくてよろしいことですね(少しは落ち着いたらいかが?)」と嫌味(苦言)を呈する人もいる。私は30代までは比較的、透け感のある服やレースものを好んで着ていたのでよく言われたました。今になってみて、「あー、あれは嫌味だったのか!」と気付かされる。一方で最近は民法以外のアナウンサーなども「えっ?そんな(イヤラシイ感じのする=下品な)服で公共のTVに出ちゃうの(プライベートで着たらいかが?)」みたいな感想を持つ自分がいる。すっかり透け感のある服などは着ない。

 

奈美のように、「一生涯、女でいたい人」は独身を選択し、自らの足で立てる女だ。

つまり、自分の人生における責任を自ら全て背負い込む覚悟のある大人の女性。

(この覚悟がない女がそういう世界に首を突っ込むと大火傷をする)

 

昨今、「歳の差婚」の逆パターンが増えてきたのもそれだけ、「自信のない(精神年齢の幼い)男性=昔で言えばヒモ男」が増えてきたからかもしれない。

まあー、世の中全体として釣り合いがつれていればいのではないだろうか。

くれぐれも、傍迷惑にならないようにする限りにおいて。

 

本書(左)とは無関係であるが、黒レースのシュミーズ(右)は祖母のお下がりです。

20-30代の頃に譲り受けて、当時は身につけていたのに今は全く無用の長物。

たまたま整理していて出てきて、思い出しました。

と同時に、これを私にくれた時の祖母は60歳を超えていたことを考えると、

普段の(実家の商売柄)祖母は質素な普段着だったけれど、正装をするような場面では、ずっと女であり続けた彼女がいたのだろうと思う。可愛らしい人だった。

私は当時の祖母に届かない年齢の今も、これを身につける気などもうさらさらないのだから。それでも、祖母との思い出の一つとして、大事に所有し続けるつもりです。